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『「空気」の研究』

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山本 七平著『「空気」の研究』
(文藝春秋、2018年)
僕がはじめて本書を読んだのは大学生の頃だったと思います。僕らの世代は今と違って、和辻哲郎『風土』、ルー ス・ベネディクト『菊と刀』、丸山眞男『日本の思想』……と、 いった日本論の古典を、若いころに一通り読んでいたもので(?)、本書もそんな流れからとりあえず読んでいました。当時の僕は、丸山眞男にかなり傾倒していました。

そして、そのせいなのでしょう、本書を読んだ感想は、「丸山が 1950年代に書いたものの焼き直し」といった程度の、低いものだったと記憶しています。また、本書には当時ピークに達していた公害反対運動への批判が多く記されてあり、若 き正義感に燃える青年であった僕は、「公害という命の問題を、経済問題にすり替えるとは強者の論理、許すまじ!」という強い怒りすら覚えていたような気が……さて、それからおよそ40年を経た現在、丸山眞男など、もはや誰も読まなくなった一方で、本書はいまだに、いや、ここ数年はむしろ「ますます」とでも言ってもいいぐらい、数多くのメディアで引用されるようになっています。その背景に は、2011年の震災以降続く脱原発への世論の動向や、いわゆるモリカケ問題に端を発した官僚による「忖度」の問題、そして、今般のコロナ禍で露呈した中枢機能の弱さなどがあげられます。山本七平は自身の陸軍在籍体験から、日本社会に潜在する非合理性を見抜きました。それは目的のために最適の方法を考えるのではなく、その場の「空気」を読んで人々の合意の得やすい方向に意思決定が行われるということです。「平時」ではそれでも問題ありません。しかし、それがあまりに行き過ぎると「有事」を招き寄せてしまうことは、先の大戦が証明しました。今また本書が様々なところに引用されているというのは、今が「戦前」と同じ空気だからなのかもしれません。「空気」という言葉は学術用語ではなく、厳密な定義があるわけではありませんが、最近でも「空気を読む」とか「KY」(空気を読めない)とか、日常でもよく使われている言葉なので、そのニュアンスや言わんとしていることは日本人なら誰でも分かることでしょう。

このように「空気を読む」能力は、日本人にとって必須のもののようにも思えますが、それが暗黙の同調圧力や、無駄な忖度といったものに 転化しやすいこと、さらには、「大和魂」に代表される破滅 を美化する精神主義を生み出したことを考えると、その危険性には十分自覚的であることが求められます。 山本はこの「空気を読む」ことを「臨在的把握」と呼び、 日本古来の、物質と霊魂を区別しない「アニミズム」にルーツがあると言います。明治以降の啓蒙主義では、「霊の支 配」などというものは前近代的な迷信だと考え、科学的に 説明できないものは認めないということが社会のタテマエとなりました。しかし、それはあくまでもタテマエで、「霊」は「空気」として人々の間に残り、あらゆる意思決定に遍在するようになりました。そして、このような精神構造は、現代の日本の官庁や民間企業にも明らかに受け継がれているとも言います。意思決定が「空気」という見えない人間関係に依存しているため、「空気」を読むのに長けただけの人物がリーダーに祭り上げられます。それは「独裁者を生まない」という点では評価もできますが、その反面「無責任の体系」を生み出し、独裁者以上のモンスターを生み出すことが、これまで日本の様々なところで起こってきました。山本はこの「空気」による支配を脱するのに必要なものとして「水」をあげ、自らも本書の中で、公害反対運動という時代の「空気」に対して「水を差し」ています。今にしてみれば山本のこの提言は勇気あるものとして評価に値しますが、僕がそれに気づくのには、40年もの歳月かかりました。「空気」ってやっぱり恐ろしい!

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