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『文章讀本』

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谷崎潤一郎著
『文章讀本』
(中央公論新社、1975年)

文章がうまく書けるようになりたい。これは僕にとって永遠のテーマです。中学生くらいの頃からずっとそう夢見てきました。そして、それは還暦間近になった今でも変わらず僕の胸にあります。しかし、その夢が達成されているかというと全然そうではありません。それは、僕の文章は下手くそとい

うほどひどくはないのかもしれませんが、甘目に見てもイマイチです。残念ながらそれは事実です。
結局、文章を上手く書くには才能が必要なのか?
そんなことをたまに考えます。そして、自分にそれが著しく欠けていることを激しく卑下したい気持ちに駆られます。いわゆる「文才」とは、努力して後天的に養われるものではなく、先天的なものであり、それがない限りいくら努力しても結局、徒労に終わるのではないか――。自分の書いたものを読み返して、そういう絶望的な気持ちになったこと数知れず……
しかし、絶望的にはなりながらも、先ほども申し上げたように、僕にとってうまい文章が書けるようになることは永遠のテーマです。こんなところでめげて、諦めているわけにはいきません。そこで、少しでもよくなればとこれまで、幾多の文章名人たちによる「文章読本」を読んできました。おそらく代表的なものとされるものは、ほとんど読んでいるのではないでしょうか。
「文章読本」をたくさん読んで気付いたことがあります。
スポーツの世界ではよく、「名選手、名監督にあらず」と言われます。これは文章の世界にも当てはまります。たとえば、三島由紀夫や丸谷才一など稀代の文筆家が書いた「文章読本」がありますが、これらは僕には全然ピンとくるものがありませんでした。一方で名の知れない新聞記者や、書き手としては評価されていないものの文章指導者としては、評判のいい人の書いた作文技術に関する本に、実践的な学びを得たりすることがよくあります。結局、三島や丸谷などの日本語の鬼才は、文章作成において独自の美意識が強すぎ、僕らのような凡才がけっしてマネのできるものではないのです。彼らの「文章読本」はそれ自体が表現で、読み物としては優れていることは認めますが、文章がうまく書けるようになりたい、という一心で読むと逆に失望させられる結果にもなりかねません。
その点、谷崎潤一郎の『文章讀本』は違います。初版が発行された昭和9年(1934年)といえば、明治維新から66年。漱石、鴎外など明治文人により、口語体の日本語文が開花し、その後の世代にあたる谷崎、志賀直哉、芥川龍之介などがそれをさらに進化させ、口語日本語の文章作法が確立された時期にあたります。その時期に当代きっての美文家であった谷崎により書かれた本書は、「文章読本」の元祖とされます。
谷崎といえば、漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴で知られています。本書はそういった谷崎の天才的な技量は控えめに、僕ら素人の凡才に寄り添い、語りかけるような言葉で記されています。この点が先にあげた文豪による「文章読本」と一番違う点です。
谷崎の主張する「日本人らしい文章」とは以下の3点です。
①饒舌を慎む②言葉遣いを粗略にしないこと③敬語や尊称を疎かにしないこと
そして、これらをまとめて「含蓄」と谷崎は言い、日本語の機微を伝えます。これは文章技術としては、ある意味究極のものですが、それが究極のものであると感づいた時点で、その人の文章は格段によくなっていることでしょう。その意味で本書は、どの「文章読本」よりも実践的なものと言えます。谷崎みたいには絶対に書けないにしても……

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